スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2007.05.24 Thursday,
| スポンサードリンク | - | - | - |
伝達と連携のためのチャネルとして。
とりあえず、なぜ今回の制作プロセスを開示していこうかと思ったのかというと、初個展でやったことが自分でも思っていた以上に「言語化」「メディア化」できていなかった(と、いうか全然そんな余裕がなかった)ので、今回は、もう少し意識的に途中過程で考えていることや、外部とのインタラクションを適宜アウトプットしてみたいと思ったからだ。または、ようやくそういう伝達ルートを意識して制作に取り組める感覚が身についてきたというべきか?

アートを個室で個人がこつこつ内面的に醸造するものだっていう風に自己規定してそれに閉じこもる必要はないし、せっかくこれだけ使い勝手がよく風通しのすばらしい環境があるのだから、コミュニケーション・チャネルとして積極的に取り込んでいったほうがいい。
メッセージを伝達し、意思や意欲を伝えていくことで、それこそ、制作協力者や購買候補や展示のパートナーなどが出てくる可能性を、少しでも開拓してみるほうが面白い。そんな感じで考えています。今後ともよろしくお願いいたします。
2007.05.24 Thursday,22:41
| phototakahito | - | comments(8) | trackbacks(0) |
最後の晩餐プラットフォーム
【最後の晩餐という共通プラットフォーム】

最後の晩餐

「最後の晩餐」ページで、「最後の晩餐」のそもそものはじまりをまとめているのですが、少し前のことなのにそれを振り返って整理するだけでも相当頭を捻る必要があるのだなあと我ながら驚きます。
ブログやソーシャルネットが無かった頃はいったいどうやって記録・共有していたのだろう?とか思ってしまいます(かつてはインターネット以前のSIGとかがそれに相当したのでしょう。じゃあ、それ以前は!?)。

さて、今ちょうど「プラットフォーム論」にハマっているのですが、言わずもがなの「最後の晩餐」。これも歴史が長く、しかも相当にカバー範囲の広いプラットフォームです(この場合のプラットフォームとは、ただ、閲覧参照できるメディアにとどまらず、その体系を用いて操作可能な、まとまった環境を指しています)。

もちろんこのブログはウェブカルチャーを語る事が趣旨では無いので深入りは避けますが、こういった「名画、名作を巡るプラットフォーム性」というのは今後のネットワークコンテンツの発生や流通を考えていく際に、かなり参考になりそうです。

いや、それよりも、まずアートプロジェクトを、こういったウェブメディアを通じて展開していこうと思ったそもそもの思いつきも早めに整理しておきたいと思っているのですが、ダヴィンチの時代、あのような共通のシンボル体系(白百合とか鳩とか様々な象徴が書物のように絵画内に登場するわけです)とは、その変化(トレンドですね)がどのように流布・認識されていったのか?とか、共通の問題意識でもって捉えることができそうです。
2007.05.12 Saturday,23:21
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |
表象の帝国
【表象の帝国】

表象の帝国

「最後の晩餐」は、ロランバルト著(宗左近訳)の「表象の帝国」をテキストにしようと思っている。

とにかくとても好きな本だし、「ニッポンの食事」をこれほど美的に洗練された形で描き出した例は、他に余り無い気がする。


読む快感が凄いので、ちょっと、読み進めるのがもったいないほどなのです(笑)。
あたかも、文字から映像が湧き出てくるようです。特に関連の深い部分をここに抜粋して引用しておきますね。


【お米】

煮た米は、一幅の絵画のなかに、緊密でつぶつぶした白さ、脆い白さをおく。やがて食膳に起こることは、こうである。

固められて粘りのある煮た米は、日本の箸で突き崩されるが、しかし、あたかも、決してばらばらにならない粘着を生み出すためだけに分離が行われるのだ、

とでもいうかのように、煮た米は絶対に散り散りになることはない。


【みそ汁】

日本では、お湯のような流動性を持つ、汁の軽やかさ、そこにいれられた大豆や、いんげん豆の微細な断片、二つ三つの個体の希薄さ(草の芽、野菜の繊維、魚の薄い断片)、

これらが少量のお湯の中にただよって澄んだ濃密という観念、脂肪のない栄養分という観念、

純粋になればなるほど強力になる霊薬という観念を与える。

微妙に海の匂いを宿る水棲のなにものかが、ものの生命の生まれる泉、深い生命源を瞑想させることになる。


【お箸】

微小なものと食べうるものとの合一が、ここにはある。ものは、小さいからこそ食べられる。

だがまた、食べられて人間を養うものだからこそ、
ものはその本質、つまり小ささという本質を満たすことができる。

東洋の食べ物と箸との協和は、機能と、道具の面だけにとどまり得ない。食べ物は、箸でつまみとれるように分断される。

だが、同時に、食べ物を小さな断片にするためにこそ箸は存在する。
分断する運動と分断された形そのもの、これが分断する道具と分断された物質の性格を超える。


「表彰の帝国 ロラン・バルト(宗左近訳)」より

2007.05.11 Friday,09:44
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |
神事のように。
【皇帝の卵】

今、江戸東京美術館でやっている「ロシア皇帝の至宝 イースターエッグ展」が非常にタイムリーで、たかがイースターエッグの盛りつけ用飾り食器(ヘンですか?)が十数億円!

皇帝の卵

ロマノフ王朝のインペリアルイースターエッグは(僕は全然詳しくないのですが)、その異常なコダワリ、贅を尽くした装飾のインフレーションで有名、、のようです、、が、


これも相当可笑しい!ですね。

卵っていうのは言うまでも無く世界の始まり(世界卵)のイメージですし、そもそも復活祭=卵っていう連想もその源泉は原始宗教っぽい感じです。そう言えばギリシア正教も本来は(ローマの)正統のはずなのに異教臭がふんぷんです。。

最後の晩餐シリーズ(別名:日本の食卓シリーズ)にも活かしたい!

この“逝ってしまった”脅威の欲望。飽くなき追求心!ですよ。食べることへの執念。。の結実というと単純化しすぎでしょうか?


【アイデア】

最近、ロケハンをしつついろいろネタが浮かんだのでタネだけメモしておきます。

・ビジネスな感じのところで食べる。
・山手線内で食べる。
・浜辺で食べる。
・牧場で食べる。
・動物園で食べる。

・昆虫を食べる。
・草花を食べる。
・小物を食べる。
・道具を食べる。
・お金を食べる。
・文字を食べる。


恐らく、「食べることで力を蓄える」=「聖なる行為」という根底があって、

やはり、どこかに宗教性というか崇高な部分があることと、
その部分はそのままエロティシズムに繋がっているのかなあ。。
とか。

まぁ、象徴的なオブジェを食べる日本美人というだけでも面白そうな感じがします。


【神事のような】

あと、


なにか、紙に「おいしいもの」って毛筆で描いてそれを箸でいただく。。とか、なんか無いものをあたかもあるかのように振舞う。。って、ちょっと神々しかったりしないか?
無いものが目の前に見えるかのように振る舞う・・っていうのは、割と写真ぽいというか、絵としてのイマジネーションが感じられて良さそうです。


文字と宝物と小物と組み合わせてお膳を構成するのってこれじたいがミニマルなアートじゃないかね?とも思えてきました。

しかも、それを「食べるふり」しちゃうっていうのが妙に楽しそうだなあ..と。ちょっと(架空ですけど)神事のムードが入っていて、その模擬行為自体が、日本ぽい感じがします。。腕が鳴るなあ(笑)。


膳 小宇宙



【本】

それから、出版メモですが、

1)基本的な写真作品(比較的、規模が大きい)
2)シンプシス(物語の断片的な粗筋部分....)
3)小作品(ソロバージョンとかスナップ撮影)

などが構成要素としてありかな?と・・。

それから、海外の版元=タッチェンやゲシュタルテンなどへも企画持ち込むといいかなあ・・とか。そのためにも、試作品の制作が急がれます・・。


2007.05.11 Friday,09:30
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |
文字を食べる。
【食卓】

それにしても『食卓』っていうのはテーマとして面白い。。
というか、食べるということは生存の基礎だから面白くない筈がない!


【お食い始め】

そう言えば『お食い始め』っていう儀式があることを思い出したですが、
あれも「食べるモノ」と「什器」「作法」に相当細かい決まりごとがありそうです。

ますます興味深く面白い。。っていうか、実際かなり「ヘンだ!」

《食い始め》

 誕生してから100日目に「お食い始め」をします。
 お食い始めに用意するものは、「祝い鯛」「たこ」「赤飯」「赤と白と黒の石」。 
 これを食べる真似をさせるのです。 
 たこを用意するのは、歯が丈夫になるように、石にも歯を固める意味はあると聞いています。。

 そして、「一生食べるものに困らないように」と一升分のお米も背負わされました。(語路合せも語路合せ、昔の人は何でもこじつけて考えるもんです。) 本を読んで調べてみると、昔は誕生祝いである1歳のときに、一升のお米を背負わせていたようです。 「一升の米を背負わせる。そしてもし歩けば、親を出し抜くといって転ばせる」と書いてありました。(友人の中にも一人、誕生日に一升のお米を背負わせると聞いた方がいらっしゃいました。)


※「たこ」「石」「親を出し抜くといって転ばせる」..可笑しいネタ満載と言えましょう。。

※晩餐ネタ=大規模(千秋楽?)、食卓ネタ=少人数、ゲリラ的撮影か?


【文字を食べる】

補足:最初は「日本美人が奇妙なモノを食べている様子」を写し取る..くらいのイメージだったのが、

「お膳=室町期の禅宗の調理、つまり精進料理とかが起源?」
「お食い始め=食べるという行為の象徴性が凝縮されている」
「食べ収め=葬式の際に、故人と共に食事をするということ」
「お骨と骨壺=骨を箸で拾うという行為。。食餌に繋がる何かを感じる。。」
「言霊=文字に書いた物を食べるフリをする。。もし、そういう作法があれば、それは凄く神聖な儀式のような気がする。。実際ありそうな気がする。お札を食べるフリとか」
「最後の晩餐、血=ワイン、肉=パン、聖人を食べる(食人)というのは東洋でも西洋でもあったこと。聖的なモノを取り込む儀式の存在」
「そういえば本願寺の高僧の残り湯を飲む風習とかがあったらしい」

とかとか、

撮影の中心に「食べる女」があるとしても、その物語的な連鎖反応はいろいろと広げられそうです。

文字を食べる。


※初潮時の「赤飯を炊いて食べる」という象徴的なイベントもありましたね。

2007.05.11 Friday,09:10
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |
ソロバージョンを考える。
【ソロバージョン】

「最後の晩餐 (JAPANESE VERSION)」案ですが、いきなり予算掛けて集団撮影というのは難しいので、「ソロ・バージョン(笑)」をまず考えてみようかと..


【お膳】

でも、「お膳」って面白いですね。
ええっと、私の奥さん(上海人)からすると、
「ちまちまして貧乏臭いなぁ、きっと日本人はケチなんだ、あんなもので満腹になるハズがない!」と散々なのですが(涙)、

お膳=小宇宙

なんか、

「小宇宙」

って感じがしますよね。


仏事とか、あとかつての儒教の儀礼=政事とかときっと関連性があったんでしょうね。


で、今回は「嘘の食卓」なので、
さて、どういったものを入れ込もうかと・・

豚の鼻

亀の頭

昆虫

乾燥した爬虫類....

とかとか(魔女のスープか?)。。いいアイデアお持ちの方はこっそり教えてください。採用させていただきます。

お膳 小宇宙


【ピクニック】

まぁ、なんかいろいろ面白いものを食べる情景を撮りたいですね。

で、お食事の場所も、

石油コンビナート前
とか、
原発前
とか、
ロケット発射場前
とか、


まぁ、一応日本なんだけど「ありえない」場所もいいなあと。
「21世紀のピクニック」って感じで..。


で、早速、着付けのできる人とか、ヘアメイクの人とか結構まじめに必要になりつつあるのですが、もしお知り合いでそういうことのできるボランティアな方とかいらしたらご一報ください。交通費程度しか出ませんが。。。


なんだか、常に、料理と衣装と場所の組み合わせを考えるのは楽しそうだ!

2007.05.11 Friday,08:30
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |
最初のアイデア
【はじめに】

このブログでは、今進めている「最後の晩餐 JAPANESE VERSION」の企画進行の様子を綴っていきます。


【最初のアイデア】

ふと考えてみると「食卓」というのは相当ユニークな「その国固有の文化表現」の舞台だ。日本の食卓(我が家の..ですね)の要素を挙げると、

・箸
・茶碗
・皿
・醤油差し
・漬け物
・米
・みそ汁
・野菜
・魚
・肉
・豆
・ふりかけ

輝かんばかりの白米。

基本的に、「ミニマル&コンパクト」で「素材が大切」「米中心」。
そんな特徴が挙げられそうだ。「質素へのこだわり」と「米への偏愛偏重」が独特か?


これが中国の家庭だとかなり違ってくる。

・スープ(サイズがとても大きい)
・大皿の魚
・大皿の肉
・蒸籠(蒸し料理)
・野菜や魚貝を多種類炒めた料理
・素材をまるごと煮た料理
・しっかり味付けられた料理
・取り皿(シェアが基本)

などが大テーブルに載り、家族主義的というか、基本的に、
「マキシマム&ゴージャス(アンチ質素)」で「スープ重視」「蒸したものが多い」
「バラエティ」「ハイカロリー」といったところか?(取材範囲:奥さんの実家@上海..狭いですね!笑)

とりあえず「質素はケチ=厳禁」、「米以外にも小麦(e.x.水餃子)が重要、汁物が全般的に多い?」などの違いが目立つ。


【最後の晩餐】

まだプロット段階なのだけど、

「架空の食卓」

つまり、日本の食卓をデフォルメしてその特異性を誇張(フェイクでありパロディ)した食卓をでっちあげて、それを囲むウソの家族を描くというプランは面白そうだ..。

・着物と洋服
・中華と和様
・ハイテクと伝統
・偽の和食
・偽の家族、親子、夫婦、恋人同士

などの混合、再編集、でっちあげ、シミュレーション。。。


例えばメタファーとしてダヴィンチの「最後の晩餐」をよりどころにするのも良いかも知れない。

もちろん、あれのパロディやオマージュは後を絶たないのだけど、日本の場合はもちろんアミニズム=多神教(キリスト教=一神教とは全く体系の異なる)の世界だから、
そりゃ当然エキゾティックなんだけど、独特の「テンション」は出せるような気がする。

最後の晩餐 パロディ

という訳で、企画のタネのメモを残しておきます。


2007.05.10 Thursday,02:23
| phototakahito | - | comments(0) | trackbacks(0) |